2011-07-24から1日間の記事一覧

0 0 [delhicurry] in Plurk

更に言えば、何故「忘却」という、ありふれた(非主体的な)営みを、こうも嘆くのだろうか。それは、全て記憶していたい、という希少性に依るものではないことは確かだ。つまり、価値観(差異)とは、異質なカテゴリということだ。

delhicurryの日記

喪も然り。外圧(ストレス)は、言語(話・書)で薄れるが、感情もそうなのだろうか。(むしろ、「感情」と名付ける行為を介してやり過ごそうとしているのだろうか。)

新潮45|新潮社

新潮45|新潮社 今月号に陣野氏も書かれているが、知らぬ間に回復している「日常性」、は怖い。忘却(風化とは異なる!悲しいまでに不可避な「反応」)のメカニズムは個人的に解明したい最重要なこと。

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いまだ言葉にできない光景は、仮設老人ホームを訪れた際の虚ろな顔(表情はなかった)で、見つめるという行為は、スクリーンを通した方が可能となる、と思った次第。

Twitter / ホーム

被災地(これは想像以上の広範囲にわたる、時空両面で)の支援のため、仙台―福島に行ってきた。

2011年07月24日のツイート

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